浅見先生に返信・添付ファイル(20161125送信・サイトUP)
海陽町とスペイン太平洋航路を結ぶ疑問の数々
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疑問1、僻地に鉄砲隊というのがおかしい。
海陽町(所在地:四国徳島南端)
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E6%B5%B7%E9%83%A8%E9%83%A1%E6%B5%B7%E9%99%BD%E7%94%BA/@33.6362035,134.1319648,11z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x35525d1be76b6f27:0x26aa8532b45271d0!8m2!3d33.6020293!4d134.3519967?hl=ja
では、江戸時代初期、阿波藩正規鉄砲隊80人が、50年間駐留していました。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/teppoutai.html
50年後に鉄砲隊は半減しましたが、いなくなったわけではありません。
土佐側には、阿波藩が鉄砲隊を駐留させるような理由は見当たらない、のに、です。
疑問2、本物の歴史家による史料の改ざん
本物の歴史家による史料の改ざんが続いています。これが本当に困るのです。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/kaifusi.bunnkennnennpyou.html
昭和55年(1980)
小川信氏
『足利一門守護発展史の研究』吉川弘文館の中で海部氏に触れ、
東寺百合文書・『相国寺供養記』・『満済准后日記』
に、海部氏が出てくることを指摘。
昭和36年羽下論文を紹介。
海部・広田の順を、広田・海部にするという、順序の格下げ
平成4年(1992)
児玉幸多編『日本交通史』吉川弘文館が出る。
この本の、109ページの瀬戸内海主要港地図から、
入港数の少ない、徳島・高知の他の港が掲載されているにもかかわらず、
***ダントツ1位の「海部」が消されている。***
執筆担当者の小林保夫氏は、林屋編『兵庫北関入船納帳』の後半部の
論文の執筆者の一人であって、
今谷明氏の論文担当部分での、入港数統計のピックアップ部分で、
海部全体10位、阿波1位の序列を、見逃すとは思えない。
また、吉川弘文館編集部の、Kという女性担当者は、
小林先生のご判断によって削除されたものであり、
それは執筆者の権限にかかわることで、
著作権に関わることだから、
こちらの問題ではない、と言う。
(皇太子殿下がらみの、話題の本の間違いについての、
歴史書老舗出版社の対応は、素人には不思議である。
間違いは著作権によって保護される、と言うのだ。)
児玉幸多氏は、皇太子殿下の先生である。
平成19年(2007年)
山川出版社『徳島県の歴史』2007年版が出る。
中世海部氏が、徳島土着の国人として
中央に食い込んでいる証拠史料について、
扱わないのはまだしも、順序を格下げするという、
不自然な記述になっている。
「相国寺落慶供養においては、
福家氏も指摘するように管領細川頼元の随兵中に、
小笠原氏・柿原氏・海部氏などがおり、」(P95以降)
ここ「相国寺供養記」の原文では、順序が違う: 小笠原・海部・由木・柿原の順
1392年『相国寺供養記(しょうこくじくようき)』原文
疑問3、スペイン太平洋航路は、17世紀初頭の世界貿易で、ペルー産銀と中国絹の移動の重要航路、
現代では、日本と北米の重要航路なのに、航路の内容・成立が全く語られない。
疑問4、フランシスコ・ザビエルは、第4回スペイン探検隊と接触していて、
探検隊所属の、コスメ・デ・トーレス神父を連れて、日本にやってきた。
これは本当です。ザビエルの書簡に書いてあるのです。
河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡2』平凡社 1994
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/zabierutobiryarobosunodeai.html
ビリャロボス艦隊は、マゼラン以降に行われた探検隊の内、フィリピンに到達した4回目の探検隊です。
http://kouro1565.html.xdomain.jp/taiheiyoukikannrotannkennkoukai.html
フィリピン到達の探検隊の説明は本当です。『慶長遣欧使節』松田毅一著・1992年 ・朝文社より
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/KEITYOUKENNOUSISETU.HTML
スペイン太平洋航路に関する、史料的な説明が付いているサイトは以下です。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/supeinntaiheiyoukouro.html