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20160920
 19日、長宗我部友親さまより、「趣旨は今後の参考にさせて頂く」との返信がありました。


長宗我部友親様


徳島県海部郡海陽町出身の者です。
以前にもメールを差し上げたことが、あるのではないかと思います。

「島弥九郎」で検索すると、長宗我部友親様の、
親房と那佐湾についてのご文章が出てまいります。

友親さまの、「海部一族に襲われ」というお話の根拠は、何なのでしょうか。

ご文章では、お母様が 「那佐で悲劇的な死を遂げた先祖」と、
話されたということなのですが、

そのお母様のお話の根拠は何でしょうか?

ひょっとしたら、江戸時代の『土佐物語』の話をお聞きになって、

先祖は海部の那佐という所で海部一族に襲われて、
罪もないのに悲劇的な最後を遂げた、

という風に、思っておしまいになった、ということはないのでしょうか?

こういう事件で、確からしい証拠と言えるのは、

「長宗我部氏に対して送られた、事件の生き残りによる、経過と顛末についての当時の
報告書」とか、
「海部氏の関係者が発した当時の書簡」とか、「地元住民の当時の記録」など、

こういう「当時のもの」です。(もちろん真正のものであるべきで、贋作はダメです)

もしあるなら、教えていただけないでしょうか。


私が見たところ、長宗我部氏関係の一般向け読み物は、全く根拠を示さないままに、
『土佐物語』を踏襲したような話ばかりです。

『土佐物語』は、事件から100年も後に、
遠い土佐で、面白く書かれた「お話」です。
「土佐の長宗我部氏・寄り」です。

この話は、司馬遼太郎氏の小説『夏草の賦』の、下敷きにも、なっているようです。

しかし、司馬氏の小説は、海部に関しては、海部氏に関しても、産業に関しても、
でたらめばかりで、悪意がいや増し状態になっています。

そういう風に、司馬氏に吹き込んだ、反・海部の人々がいるような気がします。

現状でも、南北朝時代の海部氏の資料が、専門の歴史家に「改ざん」されています。
(以下は私の小説的仮説の頁ですが、改ざんについて下の方に書いてあります)
http://kouro1565.html.xdomain.jp/simayakurou.html

『夏草の賦』を読んで、「島弥九郎」の説明板を読むと、
海部の地は、このように遅れた残虐な辺境だったのだなあ、

と、歴史好きの人に思わせることになるでしょう。
それが、何がいいのでしょうか。

反・海部の策謀者が、ますますほくそえむだけです。

根拠を示さないまま、地元の若い人に、そのように変な歴史と思わせ、
卑下させることが、何がいいのでしょうか。

是非とも親房のこの章は、
「ここで死んだのは確からしいが、『土佐物語』の話のようであったかどうかは、
確かな証拠はない」と、訂正してください。

ちなみに、私が全く別の解釈をネットに小説として書いています。
http://kouro1565.html.xdomain.jp/

島弥九郎は長宗我部氏の密偵だった、職務を敢行しなければならない、と、
那佐湾に侵入して、命を落とした、という話になっています。

紹介メールを多数送信する予定でいますので、皆様に見て頂けたらと思います。