送信済みリストに戻る
20160915
天野先生から返信が来ました。
海部氏の史料について:
久武様 下記、お尋ねの史料についてです。 『聾盲記』永正17年5月5日条です。
執筆者は医者の半井保房です。 天野忠幸
*****
天理大学 庶務課 御中
徳島県海陽町の名誉棄損の状況について
歴史文化学科歴史学専攻 准教授 天野忠幸先生
に連絡をお願いします。
三好長慶の名誉回復を視野に入れて、研究を続けておられるようです。
私は、徳島県海陽町の、「歴史上の名誉棄損からの脱却」を図っている者です。
海陽町の歴史関連の記事や情報発信には、専門家による原史料改ざんを含め、
小説・著述に、著しい名誉棄損なみの表現があふれています。
このような事態は、歴史家や歴史愛好家の、
嘲笑と侮蔑表現を、後世に伝え続けることになる、
という懸念を、打ち消すことはできません。
先生のご著書『諸人之を仰ぐこと北斗泰山・三好長慶』にも、
私の懸念する件の一端が垣間見えます。
それで、メールを差し上げる次第です。
p11の最後の行の、史料原本は何でしょうか?
当時の現物史料でしょうか?書籍でしょうか?
私がかつて群書類従の細川両家記を見た時には、
このような記事はなかったと思うのです。
ご著書の参考文献に、今谷明先生の『戦国三好一族』があります。
これにある海部関連の記述について、
私は自分のホームページで、そのおかしさを指摘してきました。
2出版社にもメールしました。
しかし問題は今谷先生だけではありません。
あまりに全体の状況がおかしいので、私はその全体状況に対して、
どうしてこのような「いかさま」が起きるのか、
それを打ち消す史実が伝えられないのか、
それを考えた挙句、仮説の体系を作りました。そしてそれを、
歴史仮説小説のあらすじ「小説スペイン太平洋航路」として、サイトUPしました。
http://kouro1565.html.xdomain.jp/index.html
*****
ポルトガルとスペインが東アジアにやって来たとき、
そこにはすでに、東南アジア諸国を含む広大な海上交易が発達していた。
1368年に元が滅亡して明が成立して以来、
明を中心とした遣明船貿易の海上交易が発達していて、
その中で中心的な役割を担ったのは琉球だった。
そして日本人も、応仁の乱以降、そのルートに乗って、
高付加価値商品である日本刀を、東南アジアに売りさばいていた。
1511年のマラッカ陥落は、日本人にとっても、
日本刀の武器としての効力を失わせた、衝撃的な事件だった。
1521年、マゼランがフィリピンにやって来たとき、
一矢報いんと、薩摩武士が軍事顧問として出かけ、
彼の周到な作戦によって、マゼランは命を落としてしまった。
連続するスペイン探検隊によって、スペインが、
太平洋を東向きにアメリカ大陸へ帰ろうとしている、のがわかって来た。
1543年、ビリャロボス艦隊が来たとき、
日本北上を警戒する、ポルトガルと日本勢の利害が一致し、
種子島氏への鉄砲売却交渉が成立した。
背後にいた堺商人との連携と、それまでの日本刀製造技術が、
以後の日本の爆発的な鉄砲生産を支えた。
1544年、ポルトガル商人に混じって、スペイン商人(秘密調査官)が薩摩に潜入し
、
南海路関係の日本人から、「通商要求と寄港地と東向きの風」の情報を手に入れた。
そのスペイン秘密調査官の仲介で、
1546年、アンボンで、ザビエルとビリャロボスは邂逅する。
*****
海部氏が、その秘密の軍港・那佐湾で、
スペイン人と共にガレオン船を建造する、という計画を立て、
三好長慶の仲介でそれを実現し、太平洋横断航路を切り開く、という話です。
ポルトガルやスペインがやってくる前の、アジア海上交易が、
スペインの活動と、どう関係していたのか、という話が、
現状では「なさすぎる」、と思うのです。
私の話は仮説ですが、結構うまくつながるではないか、と思うのです。
一度、先生にも見て頂きたいと思います。
結局のところ、私の郷里、徳島県海陽町が、
スペイン太平洋航路250年の、寄港地ではないか、
という話になります。(あらすじはそこまで行っておりませんが)
(江戸時代初期に、阿波藩正規鉄砲隊80人が50年間駐留を続け、
史料中断の後に、幕末にまた隊が登場する、それもおかしい、と思う点です)
海陽町に関して、正規の歴史家による史料の改ざんがいくつもあり、
また、全く違う話や、おとしめ描写が、歴史関連書籍に多数散見され、
非常に困惑していることについては、
「密偵・島弥九郎」の章の、下の方にリンクがあります。
三好長慶の章を書くには、時間がかかりそうではあります。
ご意見などいただければ大変ありがたいです。
久武喜久代 60歳 神奈川在 suisyou2006@nifty.com