20160927 たばこと塩の博物館 あて
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昔、1565年に開拓された「スペイン太平洋航路」のことで、
ネットで質問して回っていました。
その時に、「家康にタバコをもたらしたスペイン船」という関連で、
伊東章『マニラ航路のガレオン船』鳥影社という本を紹介していただきました。
かなり前のことです。
実は最近、『小説スペイン太平洋航路』というタイトルで、
仮説小説のあらすじのホームページを作りました。
http://kouro1565.html.xdomain.jp/index.html
伊東章『マニラ航路のガレオン船』鳥影社についても少し書いてあります。
http://kouro1565.html.xdomain.jp/itouakiramanirakouro.html
見て頂けると有り難いです。私の郷里の、現実的な課題にも対応させようとしたものです。
何か情報があれば、頂けると大変ありがたいです。
***あらすじのあらすじ***
ポルトガルとスペインが東アジアにやって来たとき、
そこにはすでに、東南アジア諸国を含む広大な海上交易が発達していた。
1368年に元が滅亡して明が成立して以来、
明を中心とした遣明船貿易の海上交易が発達していて、
その中で中心的な役割を担ったのは琉球だった。
そして日本人も、応仁の乱以降、そのルートに乗って、
高付加価値商品である日本刀を、東南アジアに売りさばいていた。
1511年のマラッカ陥落は、日本人にとっても、
日本刀の武器としての効力を失わせた、驚異的な事件だった。
1521年、マゼランがフィリピンにやって来たとき、
一矢報いんと、薩摩武士が軍事顧問として出かけ、
彼の周到な作戦によって、マゼランは命を落としてしまった。
連続するスペイン探検隊によって、スペインが、
太平洋を東向きにアメリカ大陸へ帰ろうとしている、のがわかって来た。
1543年、ビリャロボス艦隊が来たとき、
日本北上を警戒する、ポルトガルと日本勢の利害が一致し、
種子島氏への鉄砲売却交渉が成立した。
背後にいた堺商人との連携と、それまでの日本刀製造技術が、
以後の日本の爆発的な鉄砲生産を支えた。
1544年、ポルトガル商人に混じって、スペイン商人(秘密調査官)が薩摩に潜入し、
南海路関係の日本人から、「通商要求と寄港地と東向きの風」の情報を手に入れた。
そのスペイン秘密調査官の仲介で、
1546年、アンボンで、ザビエルとビリャロボスは邂逅する。