小説スペイン太平洋航路

6、海部氏の伝説

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マラッカ陥落の報に対し、友行には、人に言えない、密かに引っ掛かるものがあった。
インドよりも、ペルシャよりもずっと西から来た、というのが、友行には、心に響いた。

友行の家の伝承では、はるかな昔、インドよりも西のペルシャから来たんだ、という話になっている。
昔って、どれくらい昔なのかと言えば、それは天皇様が出てくる前の話のようだった。

天皇様の神話とは全くすれ違う話である。天皇様の神話は全く触れないが、
あちこち聞けばその通りに全国にある、「夥しい古墳の説明」には、なっているのである。

友行は聞いていた。

ヤマト族は、ペルシャが出立地だと言う。

  「日の出の地から日没の地まで支配した」
  という伝説の地にいたのだが、
  その東には、まだまだ地が続いていた。

  ヤマト族は東へ東へと移動しながら、戦い続けなければならなかった。
  ある激しい戦闘が始まって、陸地に逃げ場を失った時、

  東の海を渡れば、そこにはまだ島がある、と告げる者があった。
  海を渡ると、果たしてそこには、住むには十分な大きさの島々があった。

  ヤマトはここが最も東の端らしいと思って、
  そこを定住の地と思い定めて暮らし始めた。

ヤマトが日本に定住してから数百年も後の、紀元3世紀、
中国大陸の動乱が伝わってきたのだそうだ。それは、後漢滅亡の報告だった。

報告は続々と増え、大陸の状況が明白になってきた。
そしてヤマトの一族は、この島国の状況に、著しく不安を覚えるようになった。

ヤマトの一族がこの島国にやってきて既に数世紀。
懐柔と戦闘と征服を繰り返しながら、徐々に勢力を拡大してきたけれども、
ヤマトの勢力は、まだまだマダラ模様の地域支配に過ぎず、
国内の地勢の把握も人民の把握も、全くできていないと言って良い。

先祖が追われてこの僻遠の島国に逃れ来て以来、
大陸の強大な武力は、伝説となって伝えられてきた。

それが今や、直接の伝聞となって、ヤマト一族の警戒心を煽り始めたのだ。

国内では見聞することのない大規模な戦闘、狡知の限りを尽くした策略・謀略の数々。
ヤマト一族は、我が身を振り返った。

この狭い島国で、我々はまだ、地勢も知り尽くしてはいないし、
どのような人民が、どこにどれだけいるかさえ、充分に把握しているとは言えない。
言葉が通じない地域がたくさんある。

このような状況で、もし中国がわが国に攻め込んできたら、
守るべき国という意識も持たない住民は、征服されたその地から、中国の支配下に入るだろう。

これはまずい。ヤマトの祖先がやっと足がかりを築いたこの土地を、
何とか大陸に対抗できる国として、まとめあげなければならない。

この島国を、隅々まで、ヤマトの言葉が通じる、一つの国にしたい。

この国は、ヤマト支配の地以外に、様々な言葉を使う地域・住民がいて、
相互に交易している。

やみくもに、武力を振りかざして征服する、などというような乱暴なことは避けて、
うまく一つの国にする方法はないだろうか。


ヒメコはこの国の現状を考えていた。ヤマトの言葉を話し、ヤマトの系譜と言える、
血統からしてもヤマトが支配する国々と、
諸々の言葉を話し、別の伝統を保ち続けている国々と。

ヒメコは、この島国でのヤマトの出自を、他の国々よりも、遥かに上位であると自認していた。

西方の高度文明からは遠くなったが、この地での影響力や文化の伝播力はヤマトが最強であり、
祖先の歴史と、知恵の源泉である文字と、
この地で勢力を拡大してきただけの、多くの能力の集積術は、
異国の血統を取り込みつつも、祖先の賜物以外にないと思うのだ。

繰り返し絶滅の危機にさらされつつつ、私達は生き延びてきた。
ここで中国の侵入を受け、侵食され、ヤマトがヤマトとして存続できなくなったら、
祖先が生き延びた意味がわからなくなる。中国の侵略に対抗できるだけの国を作りたい。

絶滅を避けるには、何より人口が必要だった。必死になって子供を増やした。
それでも、中国に侵略されれば、ヤマトやら何やらわからなくなり、
ヤマトだという芯がなくなってしまう。それは祖先の望む所ではあるまい。

私はヤマトの長として、ヤマトの拡大強化を徹底したいと思う。
格段下に見えるヤマト以外の国々を、どうにかしてヤマトになびかせ、
彼らを共に統合して、力の結集を図りたい。

ヒメコは、祖先が大陸で力を注いだという、巨大墳墓のことを考えていた。

「何のために、そのような巨大なものを作るのだ?大変なことをして、何の役に立つのだ?」

「ヒメコ様。物分りの悪い人民には、偉大さというものを目に見えるようにして、
 怖れ畏まらせる必要があるのでございます。

 大陸では、王や皇帝の住まいが巨大であるだけではなく、お墓も巨大なものにして、
 その権威を見せ付けるために利用するのでございます。

 他国の者も、その国の勢威を感じて感嘆し、国の力の程を計ることでございましょう。

 それに人民は、巨大な物作りに参加して、自分も誇らしく思うものでございます。

 これまでも、この国であちこち大きな墓が作られてきたのを見れば、
 大きな墓には、力を見せ付ける働きがあると、お感じになるのではありませんか?」

 「ふ~ん。大きな墓は力の象徴。それを、さらに巨大なものにして、
  王家の安泰を図る。逆に、うまくいかなかったのが始皇帝陵ということだね。」

ヒメコは、これをひねれば、何か解決策が出てくるような気がした。

自分が、これまでの首長の墓よりも、はるかに大きな墓を作ったらどうだろうか。
自分は神のお告げを聞く者である。

自分は死んで、この国の皆の幸せと、国の安泰を祈る神となる、と言えば、どうだろう。
その神を祭る祭壇ならば、皆が心安んじて築造に参加してくれるだろう。

祭壇は道案内のしるべとなり、外国からの訪問者には、勢威をみせる建造物の端緒となるだろう。

築造の作業には、できるだけ多くの人の奉仕を頼もう。
神への祭りに参加してくれるならば、ご利益が有り余る、と伝えれば、
皆が参加してくれるだろう。

自分をまず最初の事例とする。そして、巨大祭壇を全国首長たちに広げれば、
皆が、神へのご奉仕として参加してくれるだろう。
こうして巨大祭壇という道しるべ、あるいは見せかけであろうとも、対外的な威圧建造物ができる。

交通路を開き、人民が交流し、言葉をヤマト語にすることは、別の側面での目標である。
そして、大陸への警戒を怠るな。目標はこの国の、ヤマトへの統一である。


ヒメコは、ヤマト族の重臣たちにその意志を伝えた。
 「全国の首長たちに、ヤマトの血を伝え、その子孫に、祭壇の地域神となる許可を与えよ。」
 
 「ヤマト族は増えねばならない。地域首長につながったヤマトの血は、その地で増えなければならない。
 そしてヤマトの言葉は、増えなければならない。全国が、ヤマトの言葉で統一されるのだ。

 ここに、新たに漢字から作った文字がある。カタカナだ。これで言葉の統一をはかるのだ。

 中国の漢字文化にかぶれている人々も、これなら受け入れやすいだろう。」
 
ヤマトには昔から、五七五七七のリズムに乗っての言葉遊びがあった。
短い言葉で気持ちを伝える。その極に短歌があった。

それは、言葉をたくさん伝えることができない古い時代に、気持ちをどう伝えるかと試行錯誤した、
長い経験の賜物だった。

全国各地から、言葉や習慣を学ぶために神殿にやってきていたヤマトの諸部族の若者は、
この頃から、この島国の地勢と人民の調査に乗り出した。

同族は誰も行ったことがない、という土地へと、ヤマトの若者が繰り出していった。

新しい航路や交通路が開拓され、未知の部族が減少してゆき、
ヤマトの部族が進出し、同化していった。

ヤマトの言葉や文化が、人々の努力によって、全国へと広がっていった。
新しい文字・カタカナはとても珍重された。
五七五七七のリズムに乗っての言葉遊びは、カタカナが浸透していくのに、とても役に立った。

そして数百年たったころには、巨大祭壇は5千を超えるようになった。
                              (近藤義郎編 『前方後円墳集成全6巻』 山川出版社)
                   
               北東の上空から見た百舌鳥古墳群 提供:堺市
               出典:

血族としての融和をうたい文句にした時代は、おおむね平和に過ぎた。
しかし、さすがに増えすぎた。疑問が沸き始めたのも無理はない。

誰それの従弟の子どもの兄弟の妻の弟の子ども、というような遠いつながりも、身内だった。
養子にやっても、そこには新しい身内が発生した。

貴重な人脈としてつながりを築き始めたが、全国に広がるのは意外に早かった。

中国では半信半疑で受け止められたとかで、上の方が、もうやめよう、という気になったらしい。
中国風の世界が、新しい秩序ある世界、外国(中国)に通じる世界だ、ということになったらしい。

  奈良時代になると、国中の人々が古墳を作っていた時代は、
  はるかかなたに行ってしまったようだった。

  大伴家持は、あちこちの小山になった古墳を見るたびに、古き時代を思い起こした。

  変わってしまったこの世界。しかしカタカナで書く言葉は、この国の人々を結びつけるようになった。
  この言葉の伝播が、古墳時代の成果を物語る。

  気が付けば、どこへ行っても、誰かがカタカナで詩歌を詠む。
  何でもない巷の人々。それは女も同じである。

  何と言うことか。みんながカタカナで歌を詠む。
  書くものがなければ、木切れや石に書きとめるのだ。
  そう言えば、これがヒメコ様の望んだことだったよ。

  そうだ、この詩歌を集めて一冊にしてみたい。こうしてできたのが『万葉集』だった。

  カタカナは誰でも使うだけに、公の世界では俗な文字とされて、使えなかった。
  漢字が持つ、魂のような力が信じられていた時代だった。
  
  そこでカタカナで書き留めた歌を、全部漢字で書き直した。
  それが後に、万葉仮名と呼ばれるようになった。
                ( この辺の発想は、江戸時代以前のかな交じり文に、
                  現代のひらがなの文字群だけで書かれたものが、
                  ほとんどない理由、と、共通するものです。
                  
                  私の説:
                  <「現代ひらがな」は誰でも知っている文字群だった。
                   しかし子どもの使い走りに使うような文字群という認識だった。、
                   それで、正規の文章としては残らなかった。>

                   「現代ひらがな」だけで暮らしている現代人には、なかなか理解されない
                   かも知れません。

                   しかし、「古文書」や「近世のかな交じり版本」
                   を見続けていて、江戸時代の辞典の見出しやカルタの1字
                   などに使われた「現代かな」の文字群を見ると、そう思えるのです。

                   誰もが知っているから使った文字群、のはずです。
                         参:私説:「千年文字かな」

友行は、古い時代に全国に築かれた大祭壇の内の一つ、
海部大里の大祭壇の下に葬られた人物の、子孫であると聞いていた。

そして友行は疑問に思った。
ええっと、異人がペルシャよりも西から来た、ということは、この世界はどうなっているのだろう?

  船で海の上を進んでいくと、この世界は円盤に乗っているのかと思う。
  しかしどんどん進んでいくと、向こうから陸地が現れる。海の下から出てくるみたいだ。

  ということは、海の面は丸いのだ。
  水面は水平であるはずだ。しかし、海のように広い所では、水は丸い。

  マラッカまで行くのに、どれほどの距離を移動することか。
  新しい土地が海面から湧いてきて、過ぎ去った土地は海面の下に消えていく。

  ということは、この世界は丸いのだ。
  長い距離では、水平なはずの水面は丸く、地面も丸いようだ。

  しかし、水が落ちることはないし、陸地がはがれることもない。

  ただそれは航海の経験上のことであって、
  この世界が「玉のように丸い」とまでは、友行も考えたことがなかった。

  遠い世界はどうなっているのだろう。

異人・・・。自分はこの国を支配する層の一員だ。しかし傾向的に、普通より肌が白い者が出る。

日焼けすればわからないがしかし、衣服からこぼれる肌の白さは、何か少し違うものを感じさせる。
土着の民との長い長い混血だが、まれに、土着の人々とは、違う肌色の人が出る。

友行もそうだった。それで異人と聞いて、伝え聞く伝説と思い合わせ、
白い自分の、遠い祖先は何者かと思った。

友行の祖先は、この島国だけでなく、それ以前から混血をくりかえしてきた、古い種族なのだと言う。

妻子は白い肌の自分を、珍しそうに見る。体の内側の、透き通ったようなピンク色を見て、
彼らに「違うなあ」と言われるたびに、くすぐったい思いをした。

ここで何か、本当の異人にめぐり合う時が来ているのなら、それは神仏のお導きかもしれない。
友行は、そう、因縁めいたものを感じていた。