小説スペイン太平洋航路

7、海部友行、三好元長を伴って阿波に帰還

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1518年、10年近く京都で頑張っていた大内氏が、国元の情勢に不安を感じて帰国した。
京都に大きな空白ができたのだ。

この情勢に、1519年11月、細川澄元は四国勢を率いて兵庫に出立。

三好之長(ゆきなが・63歳)・その次男・三男、孫の元長(もとなが・20歳)、海部友行
他に、阿波・讃岐の城主・武将の混じった軍勢であった。
       『公方両将記』『細川両家記』(『海南町史』p198)

1520年の戦いで、一旦は勝利し、上洛を果たしたものの、高国軍の巻き返しを受けて敗走。

いかんともしがたい敗勢に、三好之長は海部友行に頼んだ。

「高国は、私が降伏すれば命は助ける、なんて言っているが、
これだけ戦ったこの情勢で、確かなものなど何もない。

元長だけは所在がわかっている。せめて元長だけでも、落ち延びさせたい。
海部殿、頼む。」

降伏した三好之長(ゆきなが・63歳)・その次男・三男は切腹させられたが、

海部友行は、元長とともに、密かに阿波へ帰還することに成功した。

     (この辺も作った話、ではある。あまりにも従来の本の、この場面の中傷がひどいため。
     三好を捨てて一人逃げた、情けない奴だと言うのだ。

     しかし、最後の海部城主・海部友光は、三好長慶の姉妹を妻にしている。

     祖父・叔父たち、3人もを捨てて逃げた海部氏に、
     同盟とはいえ、長慶がその姉妹を嫁がせるだろうか。 どうも、中傷としか思えない。)