小説スペイン太平洋航路

18、ザビエルとの密約


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  海部友光は、三好長慶の姉?を妻にしたものの、細川にも三好にも、つくことができなかった。それに、
  世の中の安定のために一肌脱ぐならまだしも、権力争いの私闘に加わるのは気が進まない。

  長慶も、そういう友光を受け入れてきた。背後を固めてくれているだけで充分だ。
  友光からは、武器その他の供給は続いていたし、資金供給も続いていた。
  彼は南海方面に資金源がある。手が離せないのも事実らしい。

  その海部友光が連絡してきた。
  何かと思えば、「スペインの太平洋帰還路開拓に参加したい」、だって。

  面白い。どうなるかわからないが、大きな交易の機会になるかもしれない。

  海部友光は言う。
  「弥次郎の報告にあったフランシスコ・ザビエルという宣教師が、堺に向かっている。
  彼に、スペインの技術者派遣に口を利いてくれるように頼みたい。
       
  日比屋了慶が屋敷を提供してくれる。
  伊達家の家老も来るから、一緒に立ち会って欲しい」

  こういうわけで、長慶は密かに、堺の日比屋邸へやってきたのだった。


海部友光は、初の洋式船造船のための秘密港を提供しよう、と申し出た領主だった。
そしてもう一人、伊達家の家老だが、
伊達家の領地は、アメリカ大陸へ出航するための、日本最後の拠点になる予定だった。

彼らは言った。
    すでに伊達家では、良い風を望める秘密の港を確保した。

    南は、琉球や薩摩や豊後や土佐に、港が見つかるであろう。
    そして堺に一番近い拠点港は、海部である。

    どうか海部に、西洋の船の技術を導入させてもらいたい。

    戦乱で危険な中央政権からは、遠く離れている。
    木材は豊富だし、材料は堺の港で何でも調達できるだろうし、
    船大工もいれば、鍛冶屋もたくさんいる。優秀な水夫たちもいる。

    造船技術と操船技術を学ぶ方法があるならば、
    まずは我々が、スペインの人々と共に、アメリカ大陸に行ってみよう。

    メキシコの太平洋岸の拠点にたどり着ければ、
    太平洋一周はできるはず。

    まずは、造船と操船の技術者を派遣してもらいたい。

    可能かどうかは、最終的には、技術者に検討してもらう必要がある。


ビリャロボスから聞いたペロ・ディエス(アルヴァレス)の話に始まって、
ヤジローがザビエルの所へ来た時から、すでにそれらしき話は持ち上がっていた。

しかし、ザビエルがいざ日本へ来てみると、布教が大目的であることもあって、具体的な話はどこへやら、
帰還路開拓の話など、なかなか出てこない。

雲をつかむような話になってきてはいないかと、不安になってきていた所だった。

しかしこうして堺までやってきて、この町の目覚しい繁栄ぶり、豪商の屋敷の贅沢な構え、
きらめかしい武将の身なり、人々の物腰を見ると、
切り出された話が、ようやく真実味を帯びてきた、と、感じざるを得なかった。

ビリャロボスとの約束が、実を結ぶ端緒が見えたのだ。

今は戦乱の世の中だが、日本の文化的な充実ぶりからすると、
日本からの太平洋横断船の出航は、成功しそうだと感じる。

ザビエルは3人に、技術者派遣を確約した。



そしてザビエル一行の後に続くスペイン人宣教師たちが、さらなる道を開いた。
スペイン人技術者たちは、宣教師に身を変えて日本に入り、海部にたどりついた。

ヤジローは、ザビエルが鹿児島を出て5ヵ月後、海部友光に詳細な説明をするために、
海部へと出発した。
                  ヤジローは、ザビエルが鹿児島を出てから5ヵ月後に「いなくなった」
                  ことになっている。(岸著p191)                   

そして後にやってくるスペイン人たちとの意思疎通のために、
日本人たちに、まずはポルトガル語を教えた。

ポルトガルとスペインは隣合う国であり、
日本へやってくるスペイン人たちは、インド経由でポルトガル領を通過してやってくる。

だからスペイン人たちは、当然ポルトガル語を勉強してくるし、
スペイン語とポルトガル語は、よく似た言葉であった。

そのために、ヤジローの教えるポルトガル語を学んでおくことが、最初に考えられたことだった。

こうして海部にやってきたヤジローは、スペイン人たちの通訳と世話のために、
そこに住むことになった。