神田外国語大学 御中
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柳沼孝一郎先生に連絡を
学外の一般者です。
柳沼孝一郎先生に連絡を取って頂きたいのですが、どこにお願いすればいいですか?
ネットで検索していて、柳沼先生のPDFを見つけました。
スペイン帝国の太平洋覇権確立
~海外領土拡張政策と東アジア進出の歴史背景~
私は、歴史仮説小説のあらすじ「小説スペイン太平洋航路」
をサイトUPしている者です。
http://kouro1565.html.xdomain.jp/index.html
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ポルトガルとスペインが東アジアにやって来たとき、
そこにはすでに、東南アジア諸国を含む広大な海上交易が発達していた。
1368年に元が滅亡して明が成立して以来、
明を中心とした遣明船貿易の海上交易が発達していて、
その中で中心的な役割を担ったのは琉球だった。
そして日本人も、応仁の乱以降、そのルートに乗って、
高付加価値商品である日本刀を、東南アジアに売りさばいていた。
1511年のマラッカ陥落は、日本人にとっても、
日本刀の武器としての効力を失わせた、驚異的な事件だった。
1521年、マゼランがフィリピンにやって来たとき、
一矢報いんと、薩摩武士が軍事顧問として出かけ、
彼の周到な作戦によって、マゼランは命を落としてしまった。
連続するスペイン探検隊によって、スペインが、
太平洋を東向きにアメリカ大陸へ帰ろうとしている、のがわかって来た。
1543年、ビリャロボス艦隊が来たとき、
日本北上を警戒する、ポルトガルと日本勢の利害が一致し、
種子島氏への鉄砲売却交渉が成立した。
背後にいた堺商人との連携と、それまでの日本刀製造技術が、
以後の日本の爆発的な鉄砲生産を支えた。
1544年、ポルトガル商人に混じって、スペイン商人(秘密調査官)が薩摩に潜入し、
南海路関係の日本人から、「通商要求と寄港地と東向きの風」の情報を手に入れた。
そのスペイン秘密調査官の仲介で、
1546年、アンボンで、ザビエルとビリャロボスは邂逅する。
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ポルトガルやスペインがやってくる前の、アジア海上交易が、
スペインの活動と、どう関係していたのか、という話が、
現状では、「なさすぎる」と思うのです。
私の話は仮説ですが、結構うまくつながるではないか、と思うのです。
一度、私のサイトを、柳沼先生にも見て頂きたいのです。
結局のところ、私の郷里、徳島県海陽町が、
スペイン太平洋航路250年の、寄港地ではないか、
という話になるのですが、
海陽町に関しては、正規の歴史家による史料の改ざんがいくつもあり、
また、全く違う話や、おとしめ描写が、歴史関連書籍に多数散見され、
非常に困惑していることが、一つのきっかけであることも、
申し添えなければなりません。
どうか、柳沼先生にお取次ぎをお願い致します。
久武喜久代 60歳