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海陽町教育委員会 御中
教育委員長 様
「那佐湾の島弥九郎の逸話について」
ネットで島弥九郎で検索しますと、海陽町教育委員会の名前入りの説明板が出てきます。
地元の名勝として、手がかりになるものは、
何でも並べて置きたい気持ちが、わからないわけではありません。
しかし、その根拠は何でしょうか?
私が調べた所、『海部町史』では1708年成立の『土佐物語』しかありませんでした。
何か、他に根拠として、史料があるのでしょうか。
もしあるのなら、教えて頂けませんか?
もし史料があるとしたら、
「長宗我部氏に対して送られた、事件の生き残りによる、経過と顛末についての当時の報告書」とか、
「海部氏の関係者が発した当時の書簡」とか、「地元住民の当時の記録」など、
こういう当時のものがあれば、かなり確からしさが増した、と言えます。
しかし、私が見たところ、長宗我部氏関係の一般向け読み物は、全く根拠を示さないままに、
『土佐物語』を踏襲したような話ばかりです。
近年の調査で、島弥九郎事件について、確からしい証拠が出ていますか?
ネットで「島弥九郎」を見ますと、高知市歴史散歩の頁がトップに出てきます。
地元住民が、これは島弥九郎をまつったものです、と証言?するくだりが出てきます。
この住民が「島弥九郎」のものだ、というのは、
戦後になって、偉い人が『土佐物語』にそう書いてあると言うから、偉い人がそう言うから、
これは「島弥九郎」のもの、と考えるようになった、ということはないのでしょうか。
碑面の文字を正確に活字に直したものを、同時にかかげるべきではないでしょうか。
私は、島弥九郎の名前がある、とは聞いたことがないので、一応、お聞きするわけです。
『土佐物語』は、事件から100年も後に、遠い土佐で、面白く書かれた「お話」です。
「土佐の長宗我部氏より」だと思うのが自然です。
この話は、司馬遼太郎氏の小説『夏草の賦』に下敷きのようでもあるようです。
しかし、海部に関しては、海部氏に関しても、産業に関しても、
でたらめばかりで、悪意がいや増し状態になっています。
そういう風に、司馬氏に吹き込んだ、反海部の人々がいるような気がします。
現状でも、南北朝時代の海部氏の資料が、専門の歴史家に「改ざん」されています。
(以下は私の小説的仮説の頁ですが、改ざんについて下の方に書いてあります)
http://kouro1565.html.xdomain.jp/simayakurou.html
『夏草の賦』を読んで、「島弥九郎」の説明板を読むと、
海部の地は、このように遅れた残虐な辺境だったのだなあ、
と、歴史好きの人に思わせることになるでしょう。
それが、何がいいのでしょうか。
反・海部の策謀者が、ますますほくそえむだけです。
地元の若い人に、そのように嫌な歴史と思わせることが、何がいいのでしょうか。
せめて、碑の文面を、正確に活字に直して、説明版にするべきだと思うのです。
ちなみに、私が全く別の解釈をネットに小説として書いています。
http://kouro1565.html.xdomain.jp/
紹介メールを多数送信する予定でいますので、見てみて頂けたらと思います。
久武喜久代 相模原市 suisyou2006@nifty.com