1、大気と水の循環
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宇宙から見た地球には、
常に渦巻く
雲の模様が見える。
雲は大気の循環の表れである。
そしてその下には、
海の水の循環があるのだ。
現在、日本から北アメリカに向けて大量の輸出がなされているが、
その多くが北太平洋の航路をたどる。
それは、風と海流が、北太平洋では、日本からアメリカに向かっているからだ。
燃料が少なくて済む、経済効率の良いルートだからである。
しかし現状では、ここにこのようなルートがあることさえ、良くは知られていない。
いつからこのようなルートが使われ始めたのか。
ヨーロッパ勢が帆船で世界の海に乗り出したのは、15世紀である。
このころポルトガルとスペインは、イスラム教徒から国土を奪還した。
そしてその勢いで、キリスト教世界を拡大したい、という強い熱意をもって、世界の海に乗り出した。
彼らに航海知識をもたらしたのは、地中海貿易で栄えていた、イタリアのジェノバ商人だった。
イスラム教国であるオスマン帝国が、トルコで、東方への通路をさえぎった。
ジェノバ商人は、縮小してしまった東方貿易の活路を、大西洋やインド洋への大航海に求めていた。
こうして、ヨーロッパ勢による大航海時代が始まった。
この頃、東アジアでは、中国・明を中心とする勘合貿易が大きく広がっていた。
これは14世紀末、明が、自国の貿易を管理するために始めたものだった。
日本では、足利氏が中心となって勘合貿易に加わった。
しかし足利氏の後継争いが応仁の乱(1467)となり、
やがて戦国時代へと突入して行く。
ポルトガルとスペインが東アジアにやってくるのは、そういう時代のことである。
東アジアにも、勘合貿易という、人に知られた航路を行く、広い交易圏はあった。
しかし日本の東に、果てしなく広がる巨大な海はどうか。
沖へ流されて戻ってきた者はいない。
東に向かうのは、おそらく、死である。無である。
きっと淵から落ちるのだろう。
人は怖れ、船は、陸を見据えて動いた。
しかし、日本人が太平洋を渡る時が近づいていた。
それは、西洋との遭遇によるものだった。
歴史では、1492年に、コロンブスが大西洋を横断して、アメリカ大陸を発見したことになっている。
東から西へ(世界地図では右から左へ)、南アメリカ南端の海峡を通ってフィリピンへと、
太平洋を初めて横断したのはマゼランで、それは1521年、ということになっている。(航路図)
歴史をよく勉強して覚えている人なら、
「伊達政宗(だてまさむね)」が仕立てた船で、日本から太平洋を渡ってメキシコに向かい(航路図)、
さらに大西洋を渡ってローマまで行った、「支倉常長(はせくらつねなが」という人の名前を知っているかもしれない。
この時に使われた船をサン・ファン・バウティスタ号と言い、
1613年建造の、日本で最初の、日本製・西洋型軍船、ということになっている。
慶長使節船「サン・ファン・バウティスタ」
出典:サン・ファン館|慶長遣欧使節と支倉常長 (santjuan.or.jp)
宮城県にある復元船
しかし、日本からアメリカへ向かう「航路」を、最初に開拓したのはどこの誰か、
という話になると、日本の教科書は、黙して語らない。
実は、この航路の発見者は、スペイン人のウルダネータという人物だ、ということになっている。
しかしその影には、古くから黒潮を知る、日本人の働きがあったのだ。
私はここで、その真実を語ろうと思う。