私の嫁ぎ先の久武姓について

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私の嫁ぎ先の名前を見ると、海部関連で修正を求めて動いている私について、
土佐の中世史関係者は、かなり混乱すると思います。

土佐の中世の雄、長宗我部氏の家老の名前と同じで、
しかも、相当「悪い家老」ということになっている人も、いるからです。

私が知っている嫁ぎ先は、かなり貧乏な農家です。
しかしこの名前、近隣には1軒しかないようです。

そして、以前、土佐・山内宝物資料館(多分)に問い合わせた際、
送って頂いた資料の中に、甲浦の戦国末期の史料らしきものがあり、

そこに、久武の名前の記載のあるものがありました。

貧乏農家で、江戸時代にどうしていたか、なんてことは全くわかりませんが、
私はその史料から考えて、長宗我部氏の一両具足の流れなのかしらん、
などと考えたものでした。

長宗我部氏家老「久武」の悪名を轟かせた『土佐日記』は1708年成立です。

明治になって、根拠もなく、
わざわざそのような悪名高き名前を名乗る(知っていたかどうかわかりませんが)、
というのも変です。

それで、ひょっとしたら、戦国時代の久武に、何か関係でもあったのを、
江戸時代中ずっとi言い続けて、今日に至ったのかなあ、

などと想像してみるわけです。

まあしかし、嫁いだ私は「海部の人間」でありまして、
久武の関係で動いているわけではない、ということを、
強調しておかねばなりません。