本サイト作成の背景
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このサイトは、以前作成した
「スペイン太平洋航路(マニラ・ガレオン)250年の疑問」と
「小説スペイン太平洋航路」
を合体させたものです。
この小説?は、
海部はスペイン太平洋航路の寄港地だった、という設定です。
フランシスコ・ザビエルは、第4回スペイン探検隊と接触していて、
探検隊所属の、コスメ・デ・トーレス神父を連れて、日本にやってきた。
これは本当です。ザビエルの書簡に書いてあるのです。
河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡2』平凡社 1994
それから、那佐湾に、
病気療養のために移動していた長宗我部氏の弟・島弥九郎が、
罪もないのに海部氏に殺されたことを悼む、
と言う趣旨の石碑が建てられていますが、
そうではなくて、
島弥九郎は長宗我部氏の密偵だった、
調査を強行しようとして、見つかって殺された、
という設定になっています。
海部城落城も、その状況は、これまでの説明とは全然違う設定です。
史料がやたらと付いているので、小説家は、笑うかもしれません。
しかし、海部の名誉回復の一助に、と、考えた文章です。
「島弥九郎」の章を見て頂くとわかりますが、
正規の学者先生たちによる、史料の改ざんがあります。
根本史料と突き合わせてあるので、見て頂きたいと思います。2016.0907