小説スペイン太平洋航路


13、ビリャロボスと隊員たち


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 帰還路探検・二度目の失敗

  ビリャロボスがペロ・ディエスに会って間もない
  1545年10月3日
  サン・ファン・デ・レトラン号が舞い戻ってきた。          (p59)

  ニューギニアを発見、命名したが、東へは進めなかった。
  これでメキシコからの救援は絶望的となった。
  
  それを知ったフレテスは、ビリャロボスに対して、テレナテ島へ移るようにと勧告してきた。  (p64)

  それまでにポルトガル人は、多くのスペイン人が、
  ティドーレ島から、テルナテ島のポルトガルの砦に逃亡するのを、助けていた。

  20人以上のスペイン人と3人の司祭が、既に、ポルトガル側のテレナテ島に移動していたのだ。

  しかしビリャロボスは、そのことを意に介さなかった。
  敵側に移動した人々がいると言うのに、気にしないのである。

  そればかりか、大砲の手入れにも無関心だった。戦う準備もしないのだ。

  頭の中が、ペロ・ディエスの話のことで一杯になってしまって、
  他のことに気が回らなくなっていた。

  そのためにティドーレの王は疑惑を抱いた。

  これまで食糧を供給し、僚船探索他、いろいろ便宜を図ってきたのだから、
  ポルトガル人と戦ってくれると思っていた。

  しかしスペイン人が帰国するには、ポルトガルの船で帰るしかない、
  ということになってきたようだ。

  ビリャロボスたちは一緒に戦ってくれるのだろうか。  
  こうなると、ポルトガルに寝返るのではないか、と、王は不安になった。  

  疑惑を抱いたティドーレの王が、行かないようにと懇請し、
  船の建造や糧食の倍増、絹の提供を申し入れたが、
  ビリャロボスは、時遅しとして返事をしなかった。

インド経由のスペイン送還!隊員たちの抵抗とビリャロボスの決断

  1545年10月22日、ソサ率いるインドからの150人乗り3隻のポルトガル艦隊が、テレナテに到着した。
  スペイン隊からラ・トーレをソサの元へ派遣したが、ソサはビリャロボスと二人だけの会見を求めていた。

  ビリャロボスが皆の意見を募ると、スペイン国民の名誉のため死ぬ覚悟、と、全員が勇ましい。
  誓って国を出たからは、と、ポルトガルへは屈服したくないのだ。                                 

  しかしビリャロボスは、ソサと二人だけで会見し、翌日のソサの回答を受け入れた。
  それはインド経由のスペイン送還だった。

  全員返事に窮し、重苦しさと悲哀が垂れ込める中、なおも隊内で抵抗が試みられた。   (p66)

    「やるべきことは皆の意見に従わなければならない」

    「いい兵士を抱え、幾多の苦難を乗り越えた。
     ひとたびポルトガル人に屈すれば、後はもうない」

    「交渉には、しかるべき騎士を派遣すべきだ」

  こういう隊員たちの説得に対し、ビリャロボスは頑なに拒否した。
    「既に交渉は成立させた。反故にするわけにはいかない」
  
  この、誰の意見も入れない独断専行に大勢が反発。
  「これまで通りに食糧をくれればティドーレに留まる」と、ティドーレの王に伝えたのだった。

  そして、言っても無駄だから、と、誰もビリャロボスと口を利かなくなった。

  次に隊員たちは、国王陛下への忠勤を履行するため、ビリャロボスに勧告を行う密約を交わした。
  そしてビリャロボスに書簡を手渡した。

    「ティドーレ島の王たちは、3年も食糧を援助してくれ、船の建造も申し入れてくれた。
    ポルトガルの航路で行かないのが、陛下への大なる利益と栄誉である。
    
    メキシコからの救援を待つのが、臣下として君主の命令に従う義務である。
    救援は来るし、ここなら、インディオに捕らえられたスペイン人の救出も可能だ。

    閣下の意思には従い、力の及ぶ限り尽くしてきた。

    そして今回は、己の栄誉を賭けて職務を遂行し、
    われわれにしか従わないようにと、
    一度ならず二度三度と閣下へ要求した。

    そうでないと、発生する全責任、損害、被害は閣下に帰す。
    全ては閣下の御身と名誉にかかっている。
    光栄ある騎士と、よき兵士の意見に従うように」

  その翌日にはエスカランテが総隊長のもとへ行き、自らがメキシコへ向かうと上申した。
  2、30人を募ってメキシコへの航海し、残りの者は協定に従ってインド経由で帰るしかない、と。

         *エスカランテは、この第4次ビリャロボス探検隊の報告書、『エスカランテ報告』を書いた人。

  しかしビリャロボスは言った。
   「行きたい者を連れて行くのに異存はない。しかし、船は3度も戻るな」

  その次には、差配人イスラレスが、総隊長に勧告文を突きつけた。

    「財産と大砲が外国人のものになり、取り戻せるかどうか不確実だ。
    サン・ファン・デ・レトラン号の艤装を私に命じるべきだ。

    閣下は総隊長として役人や水夫を動かせばよい。
    航海すべき時期が来た。だから閣下の支援が必要だ。

    閣下がポルトガル船の水夫になるのを許可したと聞いたが、
    サン・ファン・デ・レトラン号が出帆するまで、大砲と弾薬を渡さないように。」

  これを公証人が読み上げると、ビリャロボスは渋い顔で、「聞いた」とだけ答えた。

  翌日、ビリャロボスは、公証人、テレナテ島の住民、フスタ船の3人の隊長
  のいる前で、最初の勧告文に対する回答を行った。

   「ポルトガル艦隊長ソサとの合意(インド経由の帰還)は、
   われらの主神と陛下への奉仕、いとも高貴なる副王のためである。

   我々が守るべき命令は、「モルッカ諸島へは入らず、
   ポルトガルに帰属するものには触れない」ということである。

    宣誓した以上は、私は、これを順守しなければならない。

   できるだけ、この土地への被害を少なくして時を過ごし、
   今日まで二度、メキシコへ向けて船を出し、救援の船舶の到来も待った。

   そして我々は、キリスト教徒の義務に反し、第三者に被害を及ぼして生き延びた。
   これまでの戦その他諸々で、我々の大義のために、無関係な人々に被害を及ぼした。

   私に課せられやるべきことは、神への畏敬の念をもって、当地を立ち去ることだけである。

   見た限りでは、定住し、これ以上費用をかけるに値する土地でもない。
   時間も財も、これ以上浪費するようなことは、しないほうが良い。

   私の最終見解として、メキシコ副王には、救援の船は不必要と書く意向である。

   残念だが、ティドーレ島の王と住民の厚意へは、報いることができない。
   罪に罪を、不徳に不徳を重ねることは避けなければならない。

   スペイン人、陛下の臣下としての名誉を保持するということは、
   つまりは命令を順守することである。
   神と国王の名誉は、いかなる地位の人間にも最高の名誉である。 
    

 ビリャロボスはこう言って、インド経由の帰還が既定のものだと繰り返したが、 
 隊員たちからは、さらなる挑戦状が突きつけられた。  

   「我々は、陛下のよき忠臣として、義務を履行する用意がある。

   やってきた土地へ戻るのが当然だ。インド経由で行くのを拒否すれば、
   ポルトガル艦隊のソサが譲歩して、支援するはずだ。

   ハルマヘラ島の王には支援してもらった。
   彼には、ポルトガル人との戦いに際し、守備してほしいと求められている。

   ハルマヘラ島の王が攻撃されれば、受けた恩義からして放置はできない。
   機会があれば報いるべきだ。

   そうしないのは、陛下への不忠であり、神の掟も人の法も許さない。
   我々が死ななかったのは、ハルマヘラ島の王が命を授けたのだ。

   この件で、陛下に著しい損害が生じるだろう。
   我々は何度でも権利として勧告する。

   ハルマヘラ島の王に従い、閣下が宣誓し合意した宣誓と取り決めを、
   実行するよう命じるべきだ。

   そうすれば、この勧告文も、多くの意見も取り下げる。
   いつでも、要請されるすべてに従うつもりである。
   すべては閣下の人格と名誉にかかっている。」

 ビリャロボスは、公証人が勧告文を朗読するのを聞き終えると、言った。

   「陛下の名で、ハルマヘラ島の王とは、合意も宣誓もしていない。
   勧告文にあるような約束はしていない。

   勧告文に言われているようには、
   私的にそれほど義務を負っているとは思わない。

   ハルマヘラ島へ、誰も戦をしに行くな、と、命令する気はない。
   ことさら反対するのも、神と陛下への不忠となると考えている。

   しかし軍旗・太鼓・火縄銃の火薬は、もう、
   ハルマヘラ島に進軍しているポルトガル人に渡してある。
   戦うなら徒手空拳でやるのだね。 」                     (p72)