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宮崎正勝先生が、御社から「海」に関連する本を出しておられます。
『ザビエルの海』『「海国」日本の歴史』『風が変えた世界史』

しかし、1565年にスペインが開拓した、フィリピンからアメリカ大陸への、
太平洋帰還路について、考慮されているでしょうか。

手元に『ザビエルの海』があるのですが、スペインの航路開拓の動向が、
なぜないのでしょう。

日本に連れてきたトーレス神父は、
スペイン・ビリャロボス艦隊の一員だった、のに、です。

マゼランが1521年にフィリピンに到達してから、
スペインは、本国やメキシコから、4回の探検隊を繰り出しました。

これらはすべて悲惨な結果に終わったものの、
5回目(40年後)の1565年に、黒潮と偏西風に乗って、

太平洋を東向きに横断する航路を開きました。

(5回というのは、フィリピン到達の数で、未達を数えればそれ以上です)

マゼランのフィリピン到達以降、
スペインは帰路開拓のために、多大な犠牲を払いました。

 (それが日本では、よく知られていません。「5回の探検航海」
http://kouro1565.html.xdomain.jp/taiheiyoukikannrotannkennkoukai.html
  ビリャロボス艦隊の苦労は以下ページ・参考・伊東章『マニラ航路のガレオン船』)
http://kouro1565.html.xdomain.jp/dai4ji1542biryarobosu.html

         上記は私の仮説小説の一部で、仮説でつないだ部分がありますが、
         背景には本物の歴史家の記述があります。
    
それを知ると、ザビエルが、
アンボンでビリャロボス艦隊に会い、

「ビリャロボス艦隊に乗っていたトーレス神父」を連れて日本に来ながら、

メキシコに帰るための西風(東に向かう風)に関心がなかったら、
それは 不思議だ と思うのです。

そして一方、私の郷里・徳島県海陽町では、実直な歴史家による史料改ざんのために、
風評被害をこうむっています。

また、江戸時代に、僻地にも関わらず、必要もないのに、
阿波藩の正規鉄砲隊80人が駐留し続ける、という奇妙な事態がありました。

私の郷里海陽町の、史家による史料「改ざん」と、
ザビエルとスペイン太平洋航路の関係についての疑問の数々については、
以下のページに書いてあります。

http://kouro1565.html.xdomain.jp/161125asami.hennsinnfairu.html

宮崎先生始め、皆様方に、ザビエルと、
スペイン太平洋航路開拓と、1500年代の戦国日本との関係について、
関心を持っていただきたいと思って書きました。
よろしくお願い申し上げます。